「篤姫」の「[お試し] 30回 将軍の母」をフル動画で配信中!
慶福(よしとみ)は第14代将軍・徳川家茂(いえもち)となり、天璋院(てんしょういん)は家茂の後見役に。一方、大老・井伊直弼(なおすけ)は反対派を次々と弾圧し始めます。世にいう「安政の大獄」です。家茂は井伊の方針に疑問を感じ天璋院に相談。井伊は天璋院が幕政に関与することを嫌い、政治工作にかかわっていた西郷吉之助の居場所を問い詰めます。また、御年寄の幾島は大奥を去りたいと申し出ます。
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本編
大奥御年寄の幾島や滝山が篤姫を変身させて家定の気を引こうとしても、家定は見向きもしません。篤姫が直接願い出て、ようやく家定が訪れます。篤姫は家定に「なぜ、うつけのふりをしているのか」と問います。家定はそれには答えず、「自分は子を持つつもりはない」と明言し、篤姫は激しい衝撃を受けます。篤姫は側室のお志賀を招き、「家定の真の姿はどうか」と尋ねると、お志賀は「ただそばにいられれば幸せ」と答えます。
篤姫は家定の本当の姿を知り、苦悩を共有して真の夫婦になりたいという思いを強めます。幕府が次期将軍の決定を急ごうとしたとき、篤姫の心の支えで徳川慶喜(よしのぶ)擁立派の老中・阿部正弘が急死します。困り果てた篤姫は、「自分が輿(こし)入れしたのは、慶喜を次期将軍とするためだ」と家定に告白します。篤姫のうそ偽りのない言葉に、家定も驚くべき事実を語りだします。
篤姫は慶喜(よしのぶ)を世継ぎにと願いますが、「会ったこともない者を将軍に推薦するのはおかしい」と家定に諭されます。そこで篤姫は、次期将軍候補である一橋家の慶喜と紀州家の慶福(よしとみ)を大奥に招き、二人の器量を見比べようとします。慶喜はとらえどころのない印象でしたが、慶福は君主の風格を備えたりりしい若者でした。ところが、そのとき慶福が口にした菓子が…。
アメリカ総領事ハリスとの会見を控えた家定は、篤姫に不安を打ち明けます。家定に相談されたうれしさから篤姫は、将軍としての威厳を保つ会見方法を張り切って考えます。一方で、次期将軍に推す慶喜(よしのぶ)を同席させることを家定に薦めたため、一橋家嫌いの家定の母・本寿院の篤姫への怒りが爆発。会見当日、ハリスは篤姫の奇策に驚きます。
篤姫が慶喜(よしのぶ)を次期将軍にしようと画策していることを知った家定の母・本寿院は、篤姫と家定を遠ざけます。家定が篤姫と過ごしたいと望んでもそれを許さず、側室のお志賀に家定の相手をするようにしむけます。篤姫は誤解を解こうと本寿院に掛け合いますが、逆に「世継ぎを産む気はあるのか」と非難されてしまいます。篤姫と本寿院の溝はさらに広がるばかり。家定と会えない篤姫は、食べ物もろくにのどを通らなくなり…。
将軍の後継者争いが本格化する中、紀州家の慶福(よしとみ)を推す井伊直弼(なおすけ)は家定の母・本寿院と盟約を結びます。島津斉彬(なりあきら)から「慶喜(よしのぶ)を次期将軍にせよ」との密命を帯びて大奥に入った篤姫は、ますます窮地に。斉彬は幕府に建白書を提出し、将軍の世継ぎ問題におけるみずからの立場を表明しますが、この建白書は大奥や幕府内で大きな波紋を呼ぶことになります。
養父・島津斉彬(なりあきら)を裏切ることになろうとも、自分が納得できるまでは将軍候補の慶喜(よしのぶ)と慶福(よしとみ)のどちらにも味方しないと決めた篤姫。そんなとき、御年寄・滝山が井伊直弼(なおすけ)を大老に推す嘆願書を持参します。斉彬は井伊に対抗して松平慶永(よしなが)を大老に推します。嫁いだ徳川家と薩摩の斉彬との板挟みになった篤姫は…。
井伊直弼(なおすけ)が大老職に就き、次期将軍は紀州家の慶福(よしとみ)と決まりました。家定は井伊と堀田正陸(まさよし)に、「万が一のときは篤姫を慶福の後見に」とあとを託します。その直後、家定は発作を起こして倒れます。家定の病状は篤姫や家定の母・本寿院にすら知らされませんでした。一方、薩摩で島津斉彬(なりあきら)が亡くなったとの知らせが篤姫のもとに届きます。
最愛の夫・家定を失い悲しみにくれる篤姫を、側室・お志賀は病弱な家定に無理をさせたと責め、家定の母・本寿院は篤姫が家定を毒殺したと決めつけます。薩摩では、小松尚五郎が名を帯刀(たてわき)と改め、島津斉彬(なりあきら)の遺志を継ぐ弟・忠教(ただゆき)の側近になります。西郷吉之助も主君の遺志を継ぎ、政治工作活動を始めます。未亡人となった篤姫は、出家して天璋院(てんしょういん)となります。
慶福(よしとみ)は第14代将軍・徳川家茂(いえもち)となり、天璋院(てんしょういん)は家茂の後見役に。一方、大老・井伊直弼(なおすけ)は反対派を次々と弾圧し始めます。世にいう「安政の大獄」です。家茂は井伊の方針に疑問を感じ天璋院に相談。井伊は天璋院が幕政に関与することを嫌い、政治工作にかかわっていた西郷吉之助の居場所を問い詰めます。また、御年寄の幾島は大奥を去りたいと申し出ます。
大老・井伊による一橋派への弾圧の嵐が吹き荒れ、天璋院(てんしょういん)の婚礼の際、母親代わりを務めた侍女の村岡にも魔の手が迫ります。天璋院の命を帯びた御年寄の幾島は捕らわれた村岡の元へ向かいます。取り調べの日、村岡は白い衣を身にまとって現れます。それは天璋院が婚礼の時に着た衣装で、りんとした村岡の姿に役人たちは恐れをなします。みごとに役目を果たした幾島は天璋院に、「暇をいただきたい」と願い出ます。
徳川家茂(いえもち)と天璋院(てんしょういん)は、軍艦咸臨丸(かんりんまる)の艦長・勝麟太郎と対面。勝の飾らぬ人となりに鮮烈な印象を受けます。また、天璋院は大老・井伊と二人きりで面会し、弾圧の真意を問います。「国を守るため己の役割を果たしただけ」という井伊。その強い信念と覚悟に感銘を受けた天璋院は、これからは井伊ともっと語り合いたいと考えます。しかし、その日は二度と訪れず桜田門外の変が起こります。
幕府は権威を取り戻すため、孝明天皇の妹・和宮と将軍・家茂(いえもち)との縁組みを進めます。天璋院(てんしょういん)は和宮に婚約者がいると聞き反対しますが、家茂(いえもち)は幕府と朝廷の架け橋にしたいと語ります。京では岩倉具視(ともみ)が攘夷(じょうい)実現には幕府に恩を売っておくべきだと進言し、孝明天皇は和宮に国のためと諭します。一方、摩藩から天璋院に「帰郷してはどうか」との書状が届きます。
朝廷からの「和宮は大奥でもすべて御所風に暮らす」という要求を発端に、早くも江戸方と京方との摩擦が起きます。江戸城に入った和宮は、不安を抱きながら将軍・家茂(いえもち)と対面しますが、家茂の優しくりんとした姿に一目でひかれます。一方、天璋院(てんしょういん)との初対面で、敷物のない下座へ通された和宮らは激怒。和宮から「天璋院へ」と呼び捨てのあて名を添えた土産が届けられ、双方の対立は激化します。
家茂(いえもち)と和宮の婚儀は無事に執り行われましたが、慣習の違いから起こる江戸方と京方との確執は消えません。家茂の初のお渡りの様子が気になる天璋院(てんしょういん)。ところが、和宮は家茂を拒み、さらに懐に刀を忍ばせていたとの疑惑が持ち上がります。真相を問う御年寄の滝山に対し、和宮の母・観行院や女官たちは事実無根と激高し、和宮は何も答えません。天璋院は和宮に会見し、みずから真相究明に乗り出します。
和宮と家茂(いえもち)の仲は日増しに深まり、天璋院(てんしょういん)もひと安心。薩摩の島津久光が数千の兵を率いて上洛(じょうらく)。困惑する天璋院に対し、大奥では「天璋院が陰で糸を引いているのでは」と疑惑の目を向け、家茂までが疑いの言葉を投げかけます。久光の命に背いて行動する西郷吉之助は、再び島流しになります。薩摩の尊王攘夷(じょうい)派が京で壮絶な戦いを繰り広げ、朝廷の久光への信頼は強まります。
島津久光率いる薩摩の兵が、天皇の勅使を伴い江戸入りします。狙いは幕政改革ですが交渉は進展せず、久光の命を受けた大久保は武力で幕府に圧力をかけます。天璋院(てんしょういん)は久光の真意を問うため会見に臨み、その席上で久光の側近となった小松帯刀(たてわき)と無言の再会を果たします。「強い国を作るため、古い政治を終わらせる」と主張する久光に、天璋院は「徳川家とこの国を守りぬく」と宣言し両者は決裂します。
将軍・家茂(いえもち)の元に、上洛(じょうらく)と攘夷(じょうい)実行を求めて京から勅使が訪れます。家茂は天璋院(てんしょういん)と相談し、みずから上洛して、じかに天皇に攘夷は困難だと伝える決心をします。和宮は家茂の身を案じて上洛に反対し、後押ししたのが天璋院だと知って強い敵対心を抱きます。勝麟太郎を斬(き)るためにやってきた坂本龍馬は、勝の進歩的な考えに感銘を受け、弟子になりたいと志願します。
京では長州藩を中心とした過激な攘夷(じょうい)派が、朝廷内に勢力を広げていました。上洛(じょうらく)した家茂(いえもち)は窮地に立たされ、ついに幕府は朝廷に攘夷の決行を約束してしまいます。家茂を上洛させたことを後悔する天璋院(てんしょういん)は和宮に、「兄の孝明天皇に頼んで、家茂が江戸に帰還できるようはからってほしい」と願い出ますが拒否されます。天璋院は病に伏す家茂のもとに勝麟太郎を派遣します。
京での勢力回復をはかる長州藩が御所に突入し、「蛤(はまぐり)御門の変」が起きます。小松帯刀(たてわき)ら薩摩藩は幕府軍として迎え撃ち勝利します。大奥では、一刻も早く世継ぎをもうけ、徳川家の安泰を図りたい一心から、御年寄の滝山が家茂(いえもち)に側室を持たせてはどうかと天璋院(てんしょういん)に進言。天璋院は仲むつまじい家茂と和宮を見て反対します。そんなとき、和宮に懐妊の兆しが見え喜びに包まれます。
PV
大奥御年寄の幾島や滝山が篤姫を変身させて家定の気を引こうとしても、家定は見向きもしません。篤姫が直接願い出て、ようやく家定が訪れます。篤姫は家定に「なぜ、うつけのふりをしているのか」と問います。家定はそれには答えず、「自分は子を持つつもりはない」と明言し、篤姫は激しい衝撃を受けます。篤姫は側室のお志賀を招き、「家定の真の姿はどうか」と尋ねると、お志賀は「ただそばにいられれば幸せ」と答えます。
篤姫は家定の本当の姿を知り、苦悩を共有して真の夫婦になりたいという思いを強めます。幕府が次期将軍の決定を急ごうとしたとき、篤姫の心の支えで徳川慶喜(よしのぶ)擁立派の老中・阿部正弘が急死します。困り果てた篤姫は、「自分が輿(こし)入れしたのは、慶喜を次期将軍とするためだ」と家定に告白します。篤姫のうそ偽りのない言葉に、家定も驚くべき事実を語りだします。
篤姫は慶喜(よしのぶ)を世継ぎにと願いますが、「会ったこともない者を将軍に推薦するのはおかしい」と家定に諭されます。そこで篤姫は、次期将軍候補である一橋家の慶喜と紀州家の慶福(よしとみ)を大奥に招き、二人の器量を見比べようとします。慶喜はとらえどころのない印象でしたが、慶福は君主の風格を備えたりりしい若者でした。ところが、そのとき慶福が口にした菓子が…。
アメリカ総領事ハリスとの会見を控えた家定は、篤姫に不安を打ち明けます。家定に相談されたうれしさから篤姫は、将軍としての威厳を保つ会見方法を張り切って考えます。一方で、次期将軍に推す慶喜(よしのぶ)を同席させることを家定に薦めたため、一橋家嫌いの家定の母・本寿院の篤姫への怒りが爆発。会見当日、ハリスは篤姫の奇策に驚きます。
篤姫が慶喜(よしのぶ)を次期将軍にしようと画策していることを知った家定の母・本寿院は、篤姫と家定を遠ざけます。家定が篤姫と過ごしたいと望んでもそれを許さず、側室のお志賀に家定の相手をするようにしむけます。篤姫は誤解を解こうと本寿院に掛け合いますが、逆に「世継ぎを産む気はあるのか」と非難されてしまいます。篤姫と本寿院の溝はさらに広がるばかり。家定と会えない篤姫は、食べ物もろくにのどを通らなくなり…。
将軍の後継者争いが本格化する中、紀州家の慶福(よしとみ)を推す井伊直弼(なおすけ)は家定の母・本寿院と盟約を結びます。島津斉彬(なりあきら)から「慶喜(よしのぶ)を次期将軍にせよ」との密命を帯びて大奥に入った篤姫は、ますます窮地に。斉彬は幕府に建白書を提出し、将軍の世継ぎ問題におけるみずからの立場を表明しますが、この建白書は大奥や幕府内で大きな波紋を呼ぶことになります。
養父・島津斉彬(なりあきら)を裏切ることになろうとも、自分が納得できるまでは将軍候補の慶喜(よしのぶ)と慶福(よしとみ)のどちらにも味方しないと決めた篤姫。そんなとき、御年寄・滝山が井伊直弼(なおすけ)を大老に推す嘆願書を持参します。斉彬は井伊に対抗して松平慶永(よしなが)を大老に推します。嫁いだ徳川家と薩摩の斉彬との板挟みになった篤姫は…。
井伊直弼(なおすけ)が大老職に就き、次期将軍は紀州家の慶福(よしとみ)と決まりました。家定は井伊と堀田正陸(まさよし)に、「万が一のときは篤姫を慶福の後見に」とあとを託します。その直後、家定は発作を起こして倒れます。家定の病状は篤姫や家定の母・本寿院にすら知らされませんでした。一方、薩摩で島津斉彬(なりあきら)が亡くなったとの知らせが篤姫のもとに届きます。
最愛の夫・家定を失い悲しみにくれる篤姫を、側室・お志賀は病弱な家定に無理をさせたと責め、家定の母・本寿院は篤姫が家定を毒殺したと決めつけます。薩摩では、小松尚五郎が名を帯刀(たてわき)と改め、島津斉彬(なりあきら)の遺志を継ぐ弟・忠教(ただゆき)の側近になります。西郷吉之助も主君の遺志を継ぎ、政治工作活動を始めます。未亡人となった篤姫は、出家して天璋院(てんしょういん)となります。
慶福(よしとみ)は第14代将軍・徳川家茂(いえもち)となり、天璋院(てんしょういん)は家茂の後見役に。一方、大老・井伊直弼(なおすけ)は反対派を次々と弾圧し始めます。世にいう「安政の大獄」です。家茂は井伊の方針に疑問を感じ天璋院に相談。井伊は天璋院が幕政に関与することを嫌い、政治工作にかかわっていた西郷吉之助の居場所を問い詰めます。また、御年寄の幾島は大奥を去りたいと申し出ます。
大老・井伊による一橋派への弾圧の嵐が吹き荒れ、天璋院(てんしょういん)の婚礼の際、母親代わりを務めた侍女の村岡にも魔の手が迫ります。天璋院の命を帯びた御年寄の幾島は捕らわれた村岡の元へ向かいます。取り調べの日、村岡は白い衣を身にまとって現れます。それは天璋院が婚礼の時に着た衣装で、りんとした村岡の姿に役人たちは恐れをなします。みごとに役目を果たした幾島は天璋院に、「暇をいただきたい」と願い出ます。
徳川家茂(いえもち)と天璋院(てんしょういん)は、軍艦咸臨丸(かんりんまる)の艦長・勝麟太郎と対面。勝の飾らぬ人となりに鮮烈な印象を受けます。また、天璋院は大老・井伊と二人きりで面会し、弾圧の真意を問います。「国を守るため己の役割を果たしただけ」という井伊。その強い信念と覚悟に感銘を受けた天璋院は、これからは井伊ともっと語り合いたいと考えます。しかし、その日は二度と訪れず桜田門外の変が起こります。
幕府は権威を取り戻すため、孝明天皇の妹・和宮と将軍・家茂(いえもち)との縁組みを進めます。天璋院(てんしょういん)は和宮に婚約者がいると聞き反対しますが、家茂(いえもち)は幕府と朝廷の架け橋にしたいと語ります。京では岩倉具視(ともみ)が攘夷(じょうい)実現には幕府に恩を売っておくべきだと進言し、孝明天皇は和宮に国のためと諭します。一方、摩藩から天璋院に「帰郷してはどうか」との書状が届きます。
朝廷からの「和宮は大奥でもすべて御所風に暮らす」という要求を発端に、早くも江戸方と京方との摩擦が起きます。江戸城に入った和宮は、不安を抱きながら将軍・家茂(いえもち)と対面しますが、家茂の優しくりんとした姿に一目でひかれます。一方、天璋院(てんしょういん)との初対面で、敷物のない下座へ通された和宮らは激怒。和宮から「天璋院へ」と呼び捨てのあて名を添えた土産が届けられ、双方の対立は激化します。
家茂(いえもち)と和宮の婚儀は無事に執り行われましたが、慣習の違いから起こる江戸方と京方との確執は消えません。家茂の初のお渡りの様子が気になる天璋院(てんしょういん)。ところが、和宮は家茂を拒み、さらに懐に刀を忍ばせていたとの疑惑が持ち上がります。真相を問う御年寄の滝山に対し、和宮の母・観行院や女官たちは事実無根と激高し、和宮は何も答えません。天璋院は和宮に会見し、みずから真相究明に乗り出します。
和宮と家茂(いえもち)の仲は日増しに深まり、天璋院(てんしょういん)もひと安心。薩摩の島津久光が数千の兵を率いて上洛(じょうらく)。困惑する天璋院に対し、大奥では「天璋院が陰で糸を引いているのでは」と疑惑の目を向け、家茂までが疑いの言葉を投げかけます。久光の命に背いて行動する西郷吉之助は、再び島流しになります。薩摩の尊王攘夷(じょうい)派が京で壮絶な戦いを繰り広げ、朝廷の久光への信頼は強まります。
島津久光率いる薩摩の兵が、天皇の勅使を伴い江戸入りします。狙いは幕政改革ですが交渉は進展せず、久光の命を受けた大久保は武力で幕府に圧力をかけます。天璋院(てんしょういん)は久光の真意を問うため会見に臨み、その席上で久光の側近となった小松帯刀(たてわき)と無言の再会を果たします。「強い国を作るため、古い政治を終わらせる」と主張する久光に、天璋院は「徳川家とこの国を守りぬく」と宣言し両者は決裂します。
将軍・家茂(いえもち)の元に、上洛(じょうらく)と攘夷(じょうい)実行を求めて京から勅使が訪れます。家茂は天璋院(てんしょういん)と相談し、みずから上洛して、じかに天皇に攘夷は困難だと伝える決心をします。和宮は家茂の身を案じて上洛に反対し、後押ししたのが天璋院だと知って強い敵対心を抱きます。勝麟太郎を斬(き)るためにやってきた坂本龍馬は、勝の進歩的な考えに感銘を受け、弟子になりたいと志願します。
京では長州藩を中心とした過激な攘夷(じょうい)派が、朝廷内に勢力を広げていました。上洛(じょうらく)した家茂(いえもち)は窮地に立たされ、ついに幕府は朝廷に攘夷の決行を約束してしまいます。家茂を上洛させたことを後悔する天璋院(てんしょういん)は和宮に、「兄の孝明天皇に頼んで、家茂が江戸に帰還できるようはからってほしい」と願い出ますが拒否されます。天璋院は病に伏す家茂のもとに勝麟太郎を派遣します。
京での勢力回復をはかる長州藩が御所に突入し、「蛤(はまぐり)御門の変」が起きます。小松帯刀(たてわき)ら薩摩藩は幕府軍として迎え撃ち勝利します。大奥では、一刻も早く世継ぎをもうけ、徳川家の安泰を図りたい一心から、御年寄の滝山が家茂(いえもち)に側室を持たせてはどうかと天璋院(てんしょういん)に進言。天璋院は仲むつまじい家茂と和宮を見て反対します。そんなとき、和宮に懐妊の兆しが見え喜びに包まれます。